菊池 和美(きくち かずみ)
整体の仕事をしたいと思ったきっかけ
わたしが整体の仕事をしたいと思ったきっかけは、大事な人がひどい腰痛に苦しんでいた事です。
まっすぐに寝る事が出来ないので、ぐっすり眠ることもできず、いつも「痛い、痛い」と辛そうな様子を見ていて「なんとかしてあげたいな」と思ったのです。
そんな時テレビで、触るだけで腰痛が治るという場面をたまたま目にしました。その様子を見て「コレかな?」「これならあの人の腰痛をとってあげられるのかな?」と思いました。私が整体と出会った瞬間でした。
これまた、たまたまなのですが、この事を友人に話したところ「スゴ腕のマッサージする人知ってるよ」「その人に教えてもらえば?」と紹介されたのが全国を回って、整体の腕を磨いたM先生でした。
「体がやりたいなら、まずは顔の施術からの方がいい」。整体はもとより、人の体に触った経験などゼロ、ズブの素人のわたしはM先生の言う通りに、最初はフェイシャルを習得して、人に触ることに慣れることにしました。
当時、中3と中2の息子を育てるシングルマザーでしたから、昼間は建築資材会社の事務員、夜はクリーニングの受付パートをしながら、夜9時から深夜2~3時までの練習を週に3回。先生のレッスンを受けるために友人が自宅を貸してくれた
り、練習のために友達を連れてきてくれたりして、もともと覚えが悪いたちのため、3~4ヶ月そんな生活が続きました。時間的には苦しかったけれど、練習はとても楽しくて、やめようとは一度も思いませんでした。
あまりに覚えが悪いわたしは、途中、先生に申し訳なくて「素質がないなら言ってください」と挫折しそうになる事もありましたが、「覚える気持ちがある人にはとことん付き合う。最後まで教える」と言われました。友人も練習になるならと自分の友達を連れてきてくれました。
その気持ちが本当にありがたくて、人の3倍の期間がかかりましたが、無事に美容整体を習得することが出来ました。
ちょうどその頃、たまたま受けたタロット占い師から「部屋が空いてるからそこでサロンをやらないか?」と言われたのです。「え?!ラッキー」と思い、迷わずそこを借りて土日だけのフェイシャルサロンを開業することになりました。
この時はまだ「こずかい稼ぎが出来たらいいな」くらいの気持ちでいました。数をこなして腕をあげるぞ!みたいな。わたしの初めてのサロンには、占いに来た人や友人たちが来てくれて、楽しく施術をさせていただきました。
お客さまの中には70代の方もいて、フェイシャル後、何度も鏡を見て笑顔で帰って行く姿を見て、自分も幸せな気分になりました。笑顔になるきっかけを作ってあげられる仕事ってやっぱりすごい!一生やっていきたい!自分のサロンを開業したい!と強く思うようになりました。
2年ほどが経ち、平日夜に予約が入ることが多くなってきた頃。子供も手を離れたし、これからは自分のやりたい事をやって行こう。そう思ったわたしはサロン1本でやっていく決心をしました。思い切って勤めていた会社を辞めて、シェアサロンも卒業したのです。
香りに興味を持った事もあり、アロマテラピーアドバイザーの資格を取得。自宅近くのマンションの1室を借りることもでき、フェイシャルとアロマボディーサロン「ルフラン」を開業しました。
今度は成功するでしょ!
大丈夫!
やる気満々で始めたお店には、ありがたいことにシェアサロンのお客様が来てくれました。
チラシを配り、ホームページを作り、友達に声をかけ。「これでいっぱいお客さんが来るはず」と高をくくっていたわたしは、またもやピンチに陥ったのです。
紹介でポツポツ来るお客さんはあったものの、マンションは住居専用物件で3階、看板なし。
隠れ家サロンだから良いのよと思っていましたが、これが大きな間違い。
新規のお客さまが来るのはほとんどなし。
店の経費を払うと手元には全く残りません。
それどころか赤字の月が続き、店は全くやっていけなかったのです。
生活費や店の経費を稼ぐため、朝6時からホームセンターでのパート。
12時から母親が経営する食堂を手伝い、14時からようやくサロンワーク。
こんな生活を2年続けましたが、残念ながら初めて持った自分だけのお店は、畳む結果になりました。
それでもわたしはどうしても施術をしたい。
掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)を発症
子供ふたりが完全に巣立ったのをきっかけに、自宅でサロンをやろう!というアイデアが浮かびました。
もちろんお金なんかありませんから、自宅を自分でコツコツとリフォーム。
イメージ通りの施術ルームをつくりあげ、フェイシャル&アロマボディー「おうちサロン・Bia(びあ)」を開業しました。
幸いお客さまは少しずつ紹介で増えていきました。
収入がドーンと上がった訳ではありませんでしたが、家賃がかからない分、気持ちがラクでしたし、予約が無い日は休みにしたので、時間にこだわらず、年中無休で営業していました。
このままうまくやっていけると思った矢先。
またもやわたしをピンチが襲います。
それは掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)という病気にかかってしまったのです。
手の平や足の裏に膿を持った小さな水ぶくれがたくさん出来、かさぶたになり剥がれ落ちるを繰り返す病気です。
手がガザガザになり、皮膚はボロボロ。
医者に「完治までは7年かかる」と言われてしまいました。
仕事ができなくなる。
これからどうしよう。
わたしは手が仕事道具です。
それが使えなくなったら、わたしの今までの苦労はなんだったんだ?!と不安とともに怒りすら湧いてきました。
それより苦しかったのは、この仕事はわたしには向いてなかったのか?やめろって事?とマイナスの考えばかりが頭に浮かんだ事です。
この時は本当に絶望しました。
どうしたら人の役に立つ仕事を続けていけるんだろう?毎日この事ばかり考えていました。
そんな時に知り合いから突然連絡が入り「耳つぼジュエリー」の資格を一緒に取らないかとの誘いが!これなら手がボロボロでもやっていける!もちろんこれだけでは収入にはなりませんが、嬉しいことに今までのお客さまたちが、手がガザガサなわたしの施術を変わらず受け続けてくれたのです。
それどころか「手は大丈夫?」「無理しないで」と優しい言葉をかけてくれました。
「全然気にならないよ~」
「手がしみるならちゃっちゃっとで良いよ」
「ここに来るだけで癒されるから気にしないでやっていいから」
いつも泣きそうになるくらい、お客さまたちに励まされ元気をもらいました。
その後、7年かかると言われた掌蹠膿疱症は漢方や母手製のシソジュース、紫外線療法が抜群の効果を発揮したお陰で1年ほどで良くなりました。「大丈夫ですか?」「こんな手ですみません」と聞きながら仕事を続けられたのは、シェアサロン時代から来てくれていたお客さまたちのお陰です。
順調にエステの仕事を続けていたある日、あることに気がつきました。
施術をしているとほとんどのお客さまが「腰が痛くて辛いのよね」「肩が凝って」「頭痛持ちなのよ」と体の不調を言うのです。
美容整体の技術は持っていましたから、エステのついでにサービスでちょこちょことやるのですが、その時にラクになってもすぐに戻ってしまう。
「仕方ないの」「どこに行ってもそうだから」「あきらめている」という声の数々。
「わたしが何とかしてあげられないの?」
と思うと同時に、初心を思い出したのです。
この業界に入ったきっかけは、そもそも大事な人の腰痛をなんとかしたかったから。
わたし、いつからブレていたんだろう。
生活しなきゃ、経営しなきゃ、と思うあまり、真の目的を忘れてしまっていた自分に気がつきました。
お客さんの体の痛みを取るために。
本物の整体を勉強したい。
福寿式波動整体と三浦久之先生
そして出会ったのが、今わたしが提供している「福寿式波動整体」でした。
レイキの伝授も受けていたので、もともと波動やエネルギーなどの不思議な力には惹かれるものがありましたので、創始者の三浦久之先生がスクールを開講していることを知り、迷わず受講を決めました。
福寿式波動整体は「硬い筋肉を探し出して手を当ててエネルギーを流し弛める」と言うシンプルな技術でしたが、今まで見たこともない不思議で効果が抜群に高い整体法でした。
三浦先生が手を当ててワンツースリー、で痛みが消えてしまうのです。
エステと違って服を着たままでできるのも整体の魅力でした。
なぜなら…掌蹠膿疱症が再発してもできる。
強く揉んだり、グリグリしたりの指圧やマッサージは一切いらないので、お客さんの体に優しいし、自分の体にも負担がかからない。
これなら年を取ってもできるから、一生の仕事にしていける!
スクールは毎回、時間があっという間に過ぎるくらい、楽しく学ぶことができました。
昔テレビで見たのはこんな施術だったかもしれない。回り回ってやっと辿り着いた感じがしました。
「こんなの勉強してるからやってみていい?」と聞けば、誰ひとり嫌とは言いません。
覚えたことはすぐにお客さまに試させていただき「不思議だね」「いい感じ」と喜んでもらえ、整体の予約をして行ってくれる方が増えていきました。
スクールを卒業してまもなくの頃、三浦先生から「ギックリ腰で動けないお客さんの所へ出張してくれないか」と連絡が入りました。
初めてのギックリ腰!しかも重症?!不安はありましたが、わたしで良ければと1発返事で施術に向かいました。
その方は本当に動けず、辛そうでした。
3日間続けて出張で施術をしたら寝返りさえ打てなかったその人が、歩けるようになったのです。
「この施術は本物だ!」とさらに確信しました。
人のお役に立てた嬉しさも倍増だったのです。
交通事故によるムチ打ちのお客さんの施術を担当した事もありました。
先生が「まずやってみて。出来るから」「迷ったらすぐ電話して。アドバイスするから」と言ってくれたお陰で、回数がかかりましたが、その言葉があったから改善まで持っていく事ができ、たくさんの方の体を触る経験を積む事ができました。
「店のベッドがひとつ空いているから、午後からここでやらないか」と提案された時は、わたしでいいのか?という迷いはありましたが、先生に言われた「まずやってみて」という言葉を思い出し「やらせてください」と返事をしたのです。
その直後、三浦先生が急死したのです。
数日前にあった時は元気だったのに。信じられませんでした。
先生がいない、福寿もなくなってしまう。
ドッキリであって欲しい。
先生の自宅へ行き、顔を見たとき。
わたしの心は悲しいというよりも、感謝の気持ちしかありませんでした。
三浦久之先生の後を継ぎ開業
気持ちが落ち着いた頃、三浦先生のパートナーのYさんから「ここでこのまま店をやらない?引き継がない?」と言われたのです。Yさんは「わたしは自宅でサロンを開業するから、和美ちゃんはここをやらない?」「できることは何でもバックアップするよ」と。
実はこの時、すでに独立していた息子のひとりが戻ってきていて、自宅サロンがやりづらくなっていました。
それだけでなく、わたしの心には「自宅サロンではこれ以上大きくなっていかない」「お客さんが広がらない」「もっとたくさんの人の体を楽にしていきたいのに」と言う気持ちが強くなっていたのです。
リスクは大きいけど、チャンスかも!
わたしはやっぱり「たくさんの人の体の痛みを取りたい」と言う夢を叶えたいんだと言うことに気づいた瞬間でした。
こうして過去を振り返ってみると、ピンチの時は必ず助けてくれる人たちがいたんです。
もしかするとわたしは人の体を良くすることで「たくさんの人たちと繋がりたい」「人と人との繋がりを作りたい」そう思っているように感じています。
それが店舗で整体をすることの大きな意味なんです。昔から困っている人から頼られたり、相談されると「わたしが何とかしてあげたい」と思う性格です。
そのために苦労を背負い込んだり、大変な目にあったこともありました。
それでもわたしはやっぱり人の役に立つことが好きなのです。
人の役に立つことが一番の喜びなのです。
わたしでよければ、あなたの体の痛みや不調の悩みを話してください。
きっときっとあなたの力になれると信じています。
あなたが元気になるサポートをさせてくださいね。
菊池 和美